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プロローグ・いきなり挫折篇小型映像制作の変化映像の制作工程メイキングビデオ評
     

小型映像制作の変化【2004/02】

 小型映像がいかにポテンシャルを獲得していったか?を時代とともに簡単に見ていきます。

8ミリ映画の時代

 20年前には、映像を自分たちで作ろうとしたら、小型映画しかなかった。劇場用映画などの35mmフィルムによるに対し、16mmや8mmのフィルムによる映画は小型映画と呼ばれ、今から比べればとても不自由なシステムの中で映像が作られていた。1980年代当時、ビデオはまだ勃興期で、記録メディアとしてさえ、重いカメラに耐えなければならず、まして本格的な編集などは、アマチュアや学生がやるには夢の時代である。だが、そんな時代に8ミリカメラを片手に、ある種のエンターテイメント性を持った自主製作映画が作られていて、ぴあフィルムフェスティバルなどを中心に人気監督が出現してくる。ここで、現在でも活躍中の監督もいるが、8ミリ映画から劇場用映画に進んでいくという道が開拓されはじめたのである。
 
この頃は、最も機材的に映像が作りにくい頃で、ソフト的には局地的にブームにはなっているものの、ハードとしては販売台数の増えない8ミリ映画は、相次ぐ機材メーカーの撤退により、製作環境は窮地に追い込まれていく。現像の時間は伸び、フィルムの販売中止さえ囁かれる。今のエレクトロニクスから比べればシンプルな構造である8ミリカメラは、カメラメーカーが機材を作っていたせいもあって、頑丈で壊れにくいのである。(機材、特にカメラにはあまりプラスチックなどが使われていなかった。)だから学生などは1台のカメラを何人もで使い回し、それなりのブームであるにも関わらず、機材の需要が伸びなかったという。
 このような状況で、8ミリ映画自体の画質の問題もあって、この時代に作られた作品は、今のように作品が商業的にビデオ化されたりする発展的なインフラが整備されるようなことにはならなかった。また作品自体も、そこまでの観客に支持を得るほどのマスの方向を目指していなかったこともある。ただ、この時代に芽生えた小さいながらも自主製作映画による市場づくり(またはファンづくり)という精神は、70年代までにあった個人映画や実験映画と呼ばれていた同様の創作活動とは違う観点を持つものと思われ、小型映像が未来の映像を牽引するパワーを大いに秘めていることを暗示していた。

ホームビデオによる代替の時代

 90年代に入ると、ビデオで手軽に編集などができるようになってきて、かつての小型映像の製作の場はビデオにシフトしていく。ただし、初期においてはビデオはメディアとして映画と今以上に差別されていて、8ミリ映画より明らかに画質が良いものでさえ、映画の作り手たちから疎まれた存在であった。
 ここでも、良くはなったとはいえ、画質の差が大きく立ちはだかり、プロとアマチュアの格差は歴然としていた。これが解消されない限り、小型映像が発展していく可能性を見つけるのは難しかった。この時代でも、ビデオはプロになるための習作をつくるためのメディアに過ぎなかった。この頃、本格的な映画を目指している作家は8ミリよりも画質が良く、Vシネマや一部のテレビドラマなど使われている16ミリ映画での製作により市場を目指したのである。

小型映像制作の3種の神器

 90年代の終りに出現したDVフォーマットは、この20年間の怨念を解消するがごとく、革命的な高画質をビデオに実現させた。このDVカメラが現在の小型映像制作の3種の神器の1つであることは間違いないだろう。
 さらにパソコン上でのノンリニア編集が手軽になり、安く良質なソフトを求めるニーズに支えられて、ビデオ上映ができる劇場がミニシアターを中心に整備されていく。
 この
3種の神器ともいえる3つのアイテムが、小型映像制作を市場に発展的に送りだすインフラとなり、現在の映像製作の夢を生み出している。作品がそのまま商品にになる可能性をもたらせたわけである。ここでようやく映像は、プロと同じ音をだせる可能性を持ったギターを獲得したといえる。
  10数年から20年前に作った16ミリ映画 に匹敵するか、それ以上のクォリティを持った作品がその1/10から1/5くらいの予算で実現できるインフラが整い、今や私たちは大きなチャンスに巡り会っているといえるだろう。
また、小型映像=アマチュアという概念が薄れてきているのも大きな要因として付け加えねばなるまい。 さらに、ブロードバンドによる映像配信などが今後整備されれば、映画館や放送、ビデオの流通という多数のスタッフを擁するシステムからも解放されて、より面白い時代になる期待をはらんでいる。

小型映像の未来

 そもそも小型映像という言い方自体がナンセンスになりつつあると思うが、本や漫画や芝居や音楽と同様に、ひとつの映像コンテンツが、その規模に関わらず大きく発展する可能性を秘めている。その点で、映像はようやくマーケットとして未来を見い出した民衆の文化となったのである。だが、当然そこには、これまで映像が培ってきた様々な手法が受け継がれる場が必要になるであろうし、またちょっとした裏ワザが必要になることもあるであろう。映像の未来を面白くするのは、当然ハードやインフラだけではない。受け継がれる技術とちょっとしたインチキな遊び心、それを試しつつ、市場に参入していく場として小型映像による作品が輝いて欲しいと願っている。
  

 
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